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富士吉田簡易裁判所 昭和46年(ろ)3号 判決 1972年7月26日

被告人 清水昭康

昭一二・一一・三〇生 カメラ部品製造業

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実の要旨

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四五年三月二六日午前六時四五分ごろ、山梨県南都留郡河口湖町船津三六四〇番地の二附近の交通整理の行なわれていない交差点を河口湖方面から富士急行株式会社河口湖駅方面に向つて直進するにあたり、同交差点入口に一時停止の道路標識が設置され左右の見とおしも困難であつたから、右交差点の直前で一時停車して左右道路の交通の安全を確認すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同交差点の直前で一時停止することなく、また左右の安全を確認することなく、時速約一五キロメートルで右交差点に進入した過失により、その折左方道路より右交差点に進入した山田禎昭(当二三年)運転の大型貨物自動車に自車を衝突させ、その衝撃により自車に同乗していた矢島あさ子(当四六年)に対し頭蓋内出血、頭蓋骨々折等の傷害を負わせよつて同日午後一時二四分山梨県富士吉田市新倉二六一六番地赤坂外科医院において死亡させたほか、自車に同乗していた清水フサ子(当五六才)に対して全治約二ヶ月間を要する頭蓋骨々折等の傷害を、新村孝男(当四八才)に対して全治約四週間を要する右第五肋骨亀裂性骨折等の傷害を、堀田賢造(当六二才)に対して全治二ヶ月間を要する左鎖骨々折等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

第二、証拠によつて認定できる事実

当裁判所が取り調べた各証拠を総合すると、

1  被告人は昭和四五年三月二六日午前六時四五分ごろ、矢島あさ子、清水フサ子、新村孝男、堀田賢造の四名を同乗させた普通貨物自動車(ライトバン、松本四せ三七一二号)を運転し、御坂峠方面から国道一三七号線道路を右折し、富士急行株式会社河口湖駅に通ずる町道(以下単に町道という)に入り、南進して公訴事実要旨に記載の本件交差点にさしかかつたが、本件交差点は、アスフアルト舗装の、東西に走る幅員約七・三四ないし八メートル、二車線の県道(河口湖富士線、以下単に県道という)と、アスフアルト舗装の、南北に通ずる幅員約七・六メートルの前記町道が丁字型に交わる地点にあつて、路面は平たんでほとんど勾配はなく、また町道県道ともに歩車道の区別はない。

(なお司法警察員作成の昭和四五年三月二八日付実況見分調書添付見取図二葉には、交差点の西側の県道の幅員を七・六メートルと表示してあり、かつ交差点の東側の県道の幅員も西側の県道の幅員と同じように記載してあるが、当裁判所の検証調書添付見取図によれば、東側の県道の幅員は七・三四メートル、西側の県道の幅員は八メートルであり、右見分調書添付見取図の記載は不正確である)。

2  次に本件交差点には信号機の設置がなく、事故当時警察官の手信号等による交通整理は行なわれておらず、また県道は優先道路に指定されていないが、町道の交差点入口附近は公安委員会により車両が一時停止すべき場所に指定され、交差点の北東角から町道ぞいに約二・七メートルはなれた地点に町道と平行して一時停止の道路標識が設置されていた(ただし事故当時同所には停止線の道路標示は設置されていなかつた)。

3  また県道および町道には道路標識等による車両の最高速度の指定はなく、交差点の東側(富士吉田市方面)および西側(本栖湖方面)の県道上には、いずれも幅員約四メートルの横断歩道の道路標示および道路標識が設置され、かつ東側の横断歩道の手前の側端から三〇メートル以内の県道の車道中央線上には、昭和四六年一一月三〇日号外、総理府、建設省令第一号による改正前の道路標識、区画線及び道路標示に関する命令第七条以下により、車両の追い越し禁止場所であることを示す黄色ペイントの道路標示が設置されていた。

4  次に交差点の北東角には県道ぞいに間口約一〇・五メートル、奥行約一・七メートルの建物(当裁判所の検証調書添付見取図に「京王帝都案内所」と表示したもの、以下単に北東角の建物という)があり、そのために町道から交差点に入る場合の県道の左側部分、県道を西進して交差点に入る場合の町道の各見とおしは、いずれも極めて不良であるが、交差点の北西角は、広い空地(材木置場)になつていて、建物その他の工作物が建てられていないため、材木がうず高く積み重ねられていないかぎり、町道から県道の右側部分の見とおしは比較的良好である。そして事故当時、右の空地の県道ぞいの部分には二、三段の材木が積み重ねられていただけなので、その見とおしは比較的良好であつたものと推測される。

5  被告人は当日、自車と北原浪男運転の普通貨物自動車(ライトバン)の二台に、前記矢島あさ子ほか七名を分乗させて、長野県上伊那郡辰野町の自宅から静岡県伊豆の稲取温泉へ赴く途中、被告人車両が先行し、北原車両がこれに追随して河口湖駅の手洗所に立ち寄るため交差点にさしかかつたのであるが、被告人は自車の直後に追従してくる筈の北原車両がおくれたので、その到着を待つため、交差点に進入する直前で一たん停車した。

6  ところで被告人が交差点に進入する直前一たん停車したとき同車の前端の位置が交差点の北東角ないし交差点の入口(前記北東角の建物の県道ぞいの直線を町道側に延長した線の附近をいう、以下同じ)からどの位はなれた地点であるかについては、検察官の主張(冒頭陳述書第四では約五メートル手前、論告要旨第一の三では交差点の北端から約二メートル)ならびに各証拠の間にそれぞれ多少の喰い違いがあるが、当裁判所は次の理由により右の位置は交差点の入口から約四、五メートル後方の地点であると認定する。すなわち(一)当裁判所の検証調書および昭和四五年九月一四日付実況見分調書によると被告人は、右の地点として交差点の入口から約四、五メートルの地点を指示していること、(二)被告人の検察官に対する昭和四五年一〇月二一日付供述調書および同人の当公判廷における供述によると、当時被告人は右の停車位置から発進後、まず右方道路の安全を確認しついで時速約一五キロメートルに加速して交差点に進入しているのであるが(交差点進入時の被告人車両の速度が時速約一五キロメートルであつたことについては後に詳述する)、そのためには被告人車両は停車位置から交差点の入口まで少なくとも四、五メートル程度の距離を走行することが必要であると考えられること。

7  次に、被告人は右の地点で一たん停車したのち間もなく北原車両が到着したので、前記一時停止の道路標識に気づかないで発進し時速約一五キロメートルに加速して進行中、右方道路を見わたしたが進行中の車両がなかつたので右の速度のままやや左側にハンドルを切つて交差点へ進入し、自車の運転席が交差点の入口から約一メートル位手前にきたとき左方道路を見わたしたところ、山田禎昭運転の大型貨物自動車が右側車線に車体の全部をはみ出して時速約四〇キロメートルで交差点に向つて進行してくるのを左方約一三メートルの地点に認め、衝突の危険を感じ急制動の措置を採り交差点の南北の中心線より少し手前の地点で停車した。

8(一)  なお被告人が交差点に進入したさいの速度については、被告人や各証人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する供述調書三通、証人北原浪男ほか一名に対する当裁判所の各尋問調書等各証拠の間に著しい相違が認められ、いずれを採用すべきかは難しい問題である。

ところで司法警察員作成の昭和四五年三月二八日付実況見分調書(以下単に三月二八日付実況見分調書という)添付見取図二葉によると、事故現場には被告人車両によつて路上に印された左側五・八メートル、右側三メートルのスリツプ痕が残されていた旨の記載があり、現場写真2には、事故当日実況見分を実施した司法巡査によつて右のスリツプ痕の状況が撮影されている。したがつて右のスリツプ痕が被告人車両によつて事故当時に路上に印されたものであり、かつその長さが正確なものであるならば、当時の被告人車両の速度を判定するうえで極めて有力な手がかりになる筈であるが、右のスリツプ痕ことに左側のスリツプ痕の長さについては、次のような疑問がある。

すなわち前記のように本件交差点の北東角には建物があつて町道から左方道路、ことにその右側車線の見とおしは極めて不良である。したがつて町道から交差点に進入する自動車運転者は、交差点入口(前に同じ)から約一メートル手前に運転席がくる位置まで交差点内に、自車の前部を進出させなければ、左方道路の右側車線を十分に見わたすことができないことは当裁判所の検証調書添付見取図によつて明らかである。

(二)  そこで左方道路の右側車線を見とおすことのできる交差点の入口から一メートル位後方の地点に運転席がきた場合の被告人車両の前端の位置を考えてみると、それは交差点の入口の線から約一・三四五メートル交差点内に入つた地点ということになる(山梨県陸運事務所長の検察官に対する回答書によると、被告人車両の前端から運転席背掛けまでの距離は二・三四五メートルであるから、それから一メートルを引いた一・三四五メートル交差点内に入つた地点ということになる。以下被告人車両および山田車両の各部分の距離はいずれも右回答書による)。そして当裁判所の検証調書添付見取図によると、右の交差点入口から南北の中心線(県道の車道中央線を交差点内に延長した線であり、それより少し北寄りの地点に、衝突時の被告人車両の前端があつたことは後記9で認定するとおりである)までの距離は、県道の北側車線の幅員三・一五メートルに、車道外側線の外側の道路部分およびさらにその外側にある側溝部分の幅員各五〇センチメートルを加えた四・一五メートルである。したがつて右の被告人車両の前端の位置から交差点の南北の中心線(ほぼ衝突地点)までの距離は四・一五メートルから前記一・三四五メートルを引いた二・八〇五メートルということになる。すなわち被告人車両は事故のさい右の二・八〇五メートルという距離を走行する間に、山田車両を発見し衝突の危険を感じブレーキ操作にかかりスリツプ痕を残して山田車両と衝突したことになるのであり、つまり右の約二・八〇五メートルが当時の被告人車両の空走距離および制動距離の合計ということになるのである(なお検察官は冒頭陳述書第四で、被告人は自車の運転席が交差点の角まで来た地点で左前方に山田車両を認めた旨主張されているが、そうだとすれば、右の約二・八〇五メートルの距離はさらに約一メートル短かくなり、前記五・八メートルというスリツプ痕の長さの正確性はさらに疑問となつてくる)。しかして走行中の自動車運転者が障害物を発見しブレーキ操作にかかり制動効果が発揮されるまでに要する時間(以下空走時間という)が〇・五秒ないし一秒を要することは公知の事実であるから(最高裁判所刑事局、家庭局編、交通事件執務提要一四三頁以下、二二六頁、二五三頁等による)、被告人車両の当時の速度を時速一〇キロメートル(秒速二・七八メートル)とすれば、右の場合空走距離は約一・三九ないし二・七八メートルで、制動距離分として残されているのは右の二・八〇五メートルからこれを引いた一・四一五ないし〇・〇二五メートルということになり、さらに時速一五キロメートル(秒速四・一七メートル)とすれば、空走距離は二・〇八五ないし四・一七メートルということになり、制動距離分として残されているのは右の二・八〇五メートルからこれを引いた〇・七二メートルないしマイナスという計算になろう。

(三)  しかるに前記左側五・八メートルのスリツプ痕から推定される被告人車両の制動距離は、検察官が論告要旨第二の二の(一)において主張されるように、被告人車両の前輪と後輪との間隔二・六九メートルを差引いた三・一一メートルということになるのであるが、そうだとすれば、計算上、被告人は前記の左方道路の右側車線を見とおすことのできる交差点の入口から約一メートル後方に自車の運転席が来た地点よりさらに後方で、走行中の山田車両を発見したことになるが、本件交差点の構造上そのような後方の地点で、被告人がはたして左方道路の右側車線を走行中の山田車両を発見できたか否か疑問なきを得ない。

(四)  なお現場写真2によると、前記スリツプ痕は丁字型の交差点に対しやや斜めに印されているが、その点を考慮しても右の約二・八〇五メートルという距離が多少延長されるに過ぎず、なお当裁判所の右のような疑問を解消するに足りない。

(五)  また九月一四日付実況見分調書添付見取図を検討すると、被告人は②点から時速約一五キロメートルで発進し③点(ほぼ前出6の交差点の入口に一致する地点)で、点の山田車両を発見し、急制動したが×点で衝突したとの被告人の指示説明に基づき、右各点を記入したうえ③点(交差点の入口)から北側に、被告人車両の車輪によつて路上に印されたものとして左右いずれも長さ一・七メートルのスリツプ痕(いずれも前記左側五・八メートル、右側三メートルのスリツプ痕の一部分)が記入されている。ところで被告人車両の前端から後輪までの長さは三・四四五メートル、前端から運転席背掛までの長さは二・三四五メートルであるから、運転席背掛から後輪までの長さは一・一メートルということになる。被告人は運転席背掛に坐つているのであるから被告人の位置は運転席背掛から約三〇センチメートル前方と考えてよい。すると③点にある被告人の位置から後輪までの距離は約三〇センチメートルプラス右の一・一メートル、すなわち約一・四メートルということになろう。したがつて③点にある被告人が急制動したとしても、約一・四メートルしか後方にない後輪によつて一・七メートルものスリツプ痕を残すことは到底考えられない。かりに右見取図に記載された左右各一・七メートルのスリツプ痕が正確な長さであるとすれば、被告人車両の後輪が右スリツプ痕の北側の始端から空走距離に相当する長さ(時速約一五キロメートル、空走時間〇・五秒とすれば約二メートル、一秒とすれば約四メートル)だけ後方の地点にあつたとき、被告人は山田車両を認めていなければならないことになる、そして右の地点は、右見取図によれば交差点の入口から約三・七メートルないし約五・七メートル北側の地点であり、そしてそのときの被告人の位置は、前記の計算によりそれより約一・四メートル前方であるから、交差点の入口から約二・三メートルないし約四・三メートル後方ということになるが、そのような位置からでは、北東角の建物の死角になつて、点にある山田車両を認めることは不可能であろう。

(六)  以上の次第で左側五・八メートル、右側三メートルという前記スリツプ痕の長さの正確さについて多大の疑問があるので、当裁判所は右のスリツプ痕から直ちに当時の被告人車両の速度を判定することはできないものと考える。

(七)  そこで当裁判所は、①前記のように約二・八〇五メートルが当時の被告人車両の空走距離と制動距離の合計であると考えられること、②被告人の当公判廷における供述によると、被告人は本件事故まで約一七年間の経験があり自動車の運転に十分に習熟していたものと認められること、事故当時被告人が脇見、おしやべり等とくに不注意な運転をしていたことを認めるに足りる証拠がないこと等から、前記の空走時間は最低に近い程度のものであつたと推測されること、③被告人の検察官に対する供述調書三通によると、前記のように自動車の運転に習熟し、自動車の速度について敏感な被告人がいずれも当時の速度を時速約一五キロメートルと供述し、当裁判所の第一回公判期日における冒頭手続においても同様趣旨の陳述をしていること、④前記「交通事件執務提要」二五三頁の一覧表を参考にすると、被告人の当時の速度が時速五、六キロメートルであつたと仮定すれば、空走時間を最高の一秒としてもなお前記二・八〇五メートルの半分程度の距離で完全に停止することが可能であり、また時速二〇ないし三〇キロメートルであつたと仮定すれば、空走時間を最低の〇・五秒と仮定してもなお被告人車両は前記二・八〇五メートルの距離の範囲内で完全に停止することが不可能になるものと推測されること等を根拠とし、当時の被告人車両の速度を時速約一五キロメートル程度であつたと認定する。したがつてこの認定に反する被告人の当公判廷における供述そのほかの証拠はすべて採用しない。

(八)  なお前記左側五・八メートルのスリツプ痕の長さが正確に測定されたものとすれば、被告人車両の前端は、山田車両発見時(制動開始時)には前記衝突地点(交差点の南北の中心線附近)から制動距離三・一一メートルプラス空走距離(時速約一五キロメートル、空走時間を〇・五秒とすれば約二メートル、一秒とすれば約四メートル)だけ後方の位置にあつたことになり、そのとき山田車両の前端は県道の交差点入口附近にあつたものと想像される。けだし本件交差点の構造上双方の車両がそのような位置にいなければ相互に他方を発見することができないからである(なお右の、山田車両発見時の被告人車両の前端の位置は、検察官論告要旨第二の一の被告人車両の停車位置である交差点の北端から約二メートルの位置とほぼ一致する。とすると、事故当時被告人車両は右の地点で一たん停車し、そこから発進し交差点に進入して左側五・八メートルのスリツプ痕を残したという検察官の論告要旨は矛盾するのではなかろうか。五・八メートルのスリツプ痕を残すためには、被告人車両は右の停車位置附近ですでに時速約一五キロメートル以上で走行中でなければならないと考えられるからである)。ところで山田車両と被告人車両が右のような位置関係にある場合、衝突地点である交差点の中心附近から山田車両の方が被告人車両より近い距離にあることは明らかであり、しかも検察官主張によると、当時の速度は山田車両が毎時約四〇キロメートル、被告人車両が毎時約一五キロメートルであるから、同時に制動々作に入つたとしても、山田車両の方が計算上先に交差点の中心に到着しなければならず、したがつて両車の衝突の形態は山田車両の右側面に被告人車両の前面がぶつかることにならざるを得ない。しかしながらこれは三月二八日付実況見分調書添付の写真4によつて認められる両車の衝突形態と明らかに異なる。この点から考えても前記五・八メートルのスリツプ痕の長さの正確性は疑問である。

9  次に、検察官は、事故当時山田車両は左側車輪が県道の中央線上にある位置を走行していた旨主張し(論告要旨第一の二)、また山田車両と衝突したとき被告人車両は交差点の南北の中心線上まで進出していた旨主張されるが(論告要旨第二の二の(三))右主張はいずれも次の理由により採用できない。すなわち三月二八日付、九月一四日付各実況見分調書添付見取図および被告人の当公判廷における供述によると、事故現場には山田車両の左側前後車輪によつて路上に印された約八・三メートルのスリツプ痕が県道の中央線から約二〇ないし二五センチメートル北側に残されていたことが認められるのであるから山田車両の左側車輪は中央線から二〇ないし二五センチメートル北側を走行していたことは明らかであり、そして三月二八日付実況見分調書添付写真2によると、山田車両の車輪の外側は同車の車体の外側とほぼ同じ位置にあることが明らかであるから、(山梨県陸運事務所長の検察官に対する回答書に、山田車両の前輪の間隔が一・八九五メートルとあるのは、その内のりないし車軸間の距離をいうものと解される)、山田車両は当時その車体の全部を右側車線に入れて走行していたものといわなければならない。証人山田禎昭も当公判廷において、前方の歩行者を避けるため思わずハンドルを大きく切りすぎて左側の車輪はセンターラインより右側にはみ出していたように思う旨供述し、右の事実を明瞭に裏づけている。また三月二八日付実況見分調書添付の写真4によると、山田車両(幅二・四七メートル)の前部が衝突したのは、被告人車両の左側面の運転席背掛あたりから前端までであり、しかして被告人車両の前端から運転席背掛までの距離は二・三四五メートルであり、かつ山田車両の左側前後輪が県道中央線から約二〇ないし二五センチメートル右側を走り、ほぼそのままの状態で被告人車両の左側面と衝突していることをあわせ考えると、衝突時に被告人車両の前端は交差点の南北の中心線から二・三〇センチメートル位北側にあつたものと推認できないこともない。

10  次に、被告人が交差点に進入後走行中の山田車両を発見したさいの、被告人車両と山田車両との距離についても、証人井出明、同山田禎昭の当公判廷における各供述(六、七メートルおよび県道側の交差点の入口から五メートル位の地点)や三月二八日付実況見分調書の立会人山田禎昭の指示説明(七・二メートル)と、三月二八日付および九月一四日付各実況見分調書ならびに当裁判所の検証調書の被告人の指示説明(一三メートル、一九・一メートル、二〇・四五メートル)との間に著しい相違が認められるが、当裁判所は次の理由によりその距離を、前記のように、約一三メートルと認定した。

①  三月二八日付実況見分調書の被告人の指示説明による約一三メートルの距離は、事故発生直後のなまなましい記憶によるものであつて、他の機会における被告人の指示説明によるそれよりもはるかに信用性が高いと思われること。これに対し証人井出明の当公判廷における供述(両車間の距離六、七メートル)は事故発生後二年近く経過したのちの記憶によるものであつて、被告人の前記指示説明に比較して信用できると考えられる特別の事情もないこと。

②  三月二八日付実況見分調書添付見取図(清水康明説明)記載の②点(被告人車両の運転席の位置、以下何点というのは右見取図記載の地点をいう)から衝突地点A点までの被告人車両の走行距離と、点からA点までの山田車両の走行距離を右見取図によつて比較すると、後者は前者の約二・五倍あり、当時の速度が山田車両毎時約四〇キロメートル、被告人車両毎時約一五キロメートルであつたことを考えると、被告人車両の左側面に山田車両の前部が衝突するという本件事故の発生が可能であるが、これに対し右調書の立会人山田禎昭の指示説明によると、発見地点から衝突地点までの両車両の走行距離はほぼ等しいことになり当時の両車両の速度の相違を考えると、右のような形態の本件事故が発生するかどうか疑わしいこと。

③  山田車両の前端から後輪までの長さは七・一四五メートルであるから、点から右七・一四五メートル東寄りの県道上の地点が被告人が山田車両を発見したときの同車の後輪の位置ということになり、したがつて右地点からE点(山田車両の制動効果が発揮されたときに同車の左後輪のあつた位置)までが山田車両の事故当時の空走距離ということになる。そしてそれを右調書添付の見取図(清水康昭説明)によつて計算すると約九メートルということになるが、山田車両の当時の速度が毎時約四〇キロメートルであつたこと、前記のように空走時間が通常〇・五ないし一秒であることを考えると決して不合理ではないこと。

11  なお、被告人は当公判廷において、山田車両は時速約四〇キロメートルより高速で走行していた旨供述し、また交差点東側の横断歩道の手前で先行の大型バスを追い越すために右側車線を走行していた旨供述しているが(後者の点については証人北原浪男に対する当裁判所の尋問調書中にも同趣旨の供述部分がある)、当裁判所は次の理由により右の供述は採用しない。

すなわち三月二八日付実況見分調書によると、事故のさい山田車両は約八・三メートルスリツプし、交差点のほぼ中心附近で被告人車両と衝突したのち、被告人ほか四名のいずれも大人の乗客を乗せた被告人車両を左側面から押して直進し、約一〇・九メートル滑走し漸く停止したことが認められる。したがつて山田車両は右の八・三メートルのスリツプ痕に一〇・九メートルを加えた一九・二メートルから同車の前端から後輪までの長さ七・一四五メートルを引いた約一二メートル滑走したのち停車したことになるわけであるが、もし制動中に被告人車両の左側面に衝突し、なおそれを押したまま直進するということがなければ、同車の制動距離は右の約一二メートルよりもかなり長くなつたであろうことは社会常識上十分に想像可能であるから、山田車両の当時の速度は毎時約四〇キロメートルを超えていた疑いが強いといわざるを得ない。しかしながら他方証人山田禎昭、同池谷芳信の当公判廷における各供述によると、山田車両は約一〇トンの原木を積載していたこと、および重量物を積載しているときは空車のときより制動距離が長くなることが認められるとともに、運転者である山田禎昭は事故直後の実況見分以後終始自車の速度を毎時約四〇キロメートルと供述していること、本件事故を近距離で目撃した証人井出明も当公判廷において同趣旨を供述していること等を勘案すると、前記の想像以上に適確な証拠のない本件においては、当時の山田車両の速度を毎時約四〇キロメートル以上と認定することはできない。

また山田車両が交差点の手前で大型バスを追い越すために右側車線を走行したとの点については、証人山田禎昭は県道の左側を歩行中の、前方の二、三人の歩行者を避けるためと供述しているが、それだけの理由にしては車体の全部を右側車線に入れるという山田車両の走行の仕方はいかにも大げさであつて必ずしも納得できないが、一方前記証人井出明の当公判廷における供述によると、同人は、交差点に向い進行中の山田車両が県道の左側部分から中央線を越え右側部分に進路を変更するのを目撃しており、その目撃位置から考えて当然に視界に入る筈の先行の大型バスに全く気づいていないことが認められ、しかも同人の右供述を疑問視すべき特段の事情も存在しない。

以上の次第で当裁判所は被告人の前掲供述はいずれも採用しない。

12  次に、証人山田禎昭は、当公判廷において衝突時被告人車両は停止せず、動いていた旨供述しているが、前記のように、被告人が山田車両を発見した位置から衝突地点までの距離は、当時の被告人車両の速度では直ちに制動々作に入ればその間で停止するのに十分な距離であつたこと、被告人が脇見、おしやべり等不注意な運転をしていたことを認めるに足りる証拠がないことから考えて、右供述は到底採用しがたい。

13  次に山田禎昭は前記日時ごろ、大型貨物自動車を運転し時速約四〇キロメートルで富士吉田市方面から本栖湖方面に向い本件交差点附近の県道上を西進中、進路前方左側に歩行者を認め、これを避けるため交差点の手前二、三〇メートルの地点からハンドルを右に切り県道の右側部分を進行中、被告人車両が町道から時速約一五キロメートルで交差点内に進出してくるのを前方約一三メートルの地点に認め、衝突の危険を感じ直ちに急制動したが、衝突を回避することができず、そのまま直進し、約八・三メートルスリツプして交差点のほぼ中心附近で、自車の前部を被告人車両の左側面に衝突させ、さらに約一〇・九メートル被告人車両を押して直進し、交差点の北西角から約四メートル西寄りの地点で漸く停止したが、そのさい衝突等の衝撃により、前掲公訴事実要旨記載のとおり、被告人車両に同乗していた矢島あさ子を死亡させたほか、清水フサ子ほか二名に対してそれぞれ傷害を負わせたこと。

14  なお当日の天候は晴で路面は乾燥しており、また当裁判所が昭和四六年九月二九日実施した検証のさいには、(一)交差点の入口から約一メートル後方の町道上に白色ペイントにより停止線の道路標示が設置され、(二)交差点の北西角から北寄りの町道わきにも一時停止の道路標識が設置され、(三)河口湖駅前広場(交差点の西側の県道上にある横断歩道の南側)にはカーブミラーが設置され、(四)北東角の建物の東端に近い県道上には立看板(バス時刻表)が置かれていたが、事故当時はいずれもそれらは存在していなかつたこと、

をそれぞれ認めることができる。

第三、当裁判所の判断

1  本件のごとき交差点に町道側から進入しようとする自動車運転者の業務上の注意義務としては、まず公安委員会設置の道路標識の指示に従つて交差点の直前(具体的には北東角の建物の県道ぞいの線に自車の前端がほぼ平行する地点)で一時停止し(名古屋高金沢支判昭三七、二、八高刑集一五、三、一五三参照)、そこで見とおしの比較的良好な右方道路の交通の安全を確認し、交差点に進入しようとしている車両を認めた場合にはこれに進路をゆずり、その通過をまち、車両のとぎれ目を見はからつて徐行して発進し、左方道路の交通の安全を確認できる地点(具体的には、自車の運転席が交差点の入口から一メートル位後方にきた地点附近)まで進出し、左方道路から交差点に進入しようとしている車両を認めた場合には、必要があれば再び停止してこれに進路をゆずり、その通過をまつて発進し交差点を通過すべきものと解される。しかして交差点の直前で一時停止したのち発進するさいには、山田車両のように、車道中央線から右側部分に車体の全部をはみ出し、しかも時速約四〇キロメートルという高速で、左方道路を交差点に向い走行してくる車両のありうることまで予想し、これとの衝突を避けるために必要な措置を採るべき注意義務は原則としてないものと解される、けだし車両は原則として道路の左側部分を通行しなければならないのであり(昭和四六年法律第九八号による改正前の道路交通法―以下同じ―一七条三項)、また車両は交差点および横断歩道の手前の側端から前に三〇メートル以内の道路の部分においては他の車両を追い越すこと、したがつて右のような道路の部分においては他の車両を追い越すために道路の右側部分に車体をはみ出して通行することも禁止されているのであり(同法三〇条一号三号)さらに本件のように角に建物等の障害物があつて交差する右方道路の見とおしが極めて悪い交差点に、道路の右側部分に車体の全部をはみ出して進入すれば、右方道路から進出する車両と接触事故を起すおそれが非常に高いのでそのような乱暴な運転をしないのが自動車運転者の初歩的な常識である。したがつて左方道路から交差点に進入する車両の運転者も、右のような交通法規と初歩的な常識を遵守し、道路の左側部分を通行して交差点に進出してくるものと信頼することが許されるからである。

そこで、上記のごとく交差点の直前で一時停止したのち発進するさいには、車両の運転者は、―右方道路から交差点に進入してくる車両のないことはすでに確認ずみであり、また左方道路から交差点に進入してくる車両は道路の左側部分を通行してくるものと信頼してよいのであるから―交差点の南北の中心線(県道の車道中央線を交差点内に延長した線)より手前で十分に停止できる速度で交差点に進入して差支えなく、また必要があれば右の地点までの間で停車して左方道路の左側部分を通行してくる車両の有無を確認してよいものと解される(左方道路の見とおしのできる、自車の運転席が交差点の入口から一メートル位手前にきた地点で必ず再び停車しなければならないとか、自車の前部を右の地点から少しでも前方に進出させてはならないとかいうような注意義務はないものと解される)。なんとなれば、本件のような構造の交差点においては、そのようにしても左方道路の左側部分を進行してくる車両との衝突は十分に回避され得るし、またそれで町道側の入口附近を車両の一時停止すべき場所とした公安委員会の指定の趣旨(県道に対する車両の優先通行権の保護の確保)も十分に達成されるからである。

2  以上の見地から本件事故における被告人の過失責任の有無につき検討すると、まず被告人が交差点に進入する直前停車した場所は交差点の入口から約四、五メートルはなれた町道上であつて、交差点の直前とはいえないのみならず、被告人が停車したのは公安委員会の設置した一時停止の道路標識を認識しその指示にしたがつたのではなく、後続車両の到着をまつためなのであるから、どちらの点からいつても被告人は交差点に進入するにさいしその直前で一時停止したものということはできない(道路交通法四三条にいう一時停止とは、その場所が公安委員会によつて車両の一時停止すべき場所に指定されていることを認識し、それに従つて停止するということをいうのであつて、そのような認識がなく他の目的のために停止する場合は、それは単なる「停止」または「停車」(同法二条一九号)であつて一時停止とはいえない)。したがつてまず被告人には、公安委員会の指定にしたがつて交差点の直前で一時停止すべき注意義務を怠つた不注意があつたものということができる。

道路標識等により一時停止すべきことが指定され、かつ事故当時の本件の交差点のように道路標識等による停止線が設けられていない場合に、車両等が一時停止すべきことが義務づけられる「交差点の直前」(現行の道路交通法四三条参照)とは、具体的にいかなる地点をいうかについては議論の余地はあるが、当裁判所はこれを本件のような交差点についていえば、交差点の入口に車両の前部がほぼ平行する地点附近をいうものと解する。

前掲の名古屋高裁金沢支部昭和三七、二、八判決は、道路交通法四三条の一時停止の指定は、単に幹線道路を通り交差点に進入する車両との衝突ないし接触の危険防止の措置にとどまらず、幹線道路に対する優先通行権の保護の確保という意味をも有すると判旨するが、そうだとすれば、本件の交差点についていえば、左右の県道から直進して交差点に進入する車両との危険防止および優先通行権の保護の確保のみならず、右方の県道から交差点を左折して町道に入る車両や左方の県道から右折して町道に入る車両との危険防止をも考慮しなければならないので、そのためには交差点の直前を右のように交差点の入口に車両の前部がほぼ達する地点とせずに、交差点の入口からある程度後方の地点まで含めて解釈した方が一層適切であるように考えられないでもないが、道路交通法が「直前」という言葉と「手前」という言葉を厳格に使いわけていることを考慮すると、後者のような解釈は採り得ない。したがつて被告人が停車した交差点の入口から約四、五メートルの地点はもちろんのこと、検察官主張(論告要旨)の交差点の入口から約二メートルの地点も、交差点の手前であつて交差点の直前とはいえないものと解する。

3  次に、本件の交差点に進入する場合、自動車運転者が左方道路の交通状況を見とおすことができるのは、運転席が交差点の入口から約一メートルほど手前にきたときであり、そしてその地点から交差点の南北の中心線までの距離は、前記のように被告人車両の場合約二・八メートルであるから、右の地点で左方道路の左側部分を通つて交差点に進入しようとする車両を認めた場合、その進行を妨害することなく直ちに停車することの可能な速度としては時速約一〇キロメートル以下でなければならない。けだしそれ以上の速度では空走距離と制動距離の和が右の約二・八メートルに近くなり、左方道路から交差点に進入する車両に不安を与えその進行を妨害するにいたるからである。

ところで被告人は、前記認定のように時速約一五キロメートルの速度で交差点に進入しており、この点においても前記の注意義務に違反した不注意があつたものといわなければならない。

4  なお検察官は、本件における被告人の過失として、交差点の直前における一時不停止と右地点における左右道路の交通安全の不確認をあげているが、一時不停止の点は暫く措き、右方道路の交通安全の確認は本件の事故を回避するための注意義務とはとくに関係がない。けだし本件は右方道路から交差点に進入してきた車両との衝突事故ではないからである(また当裁判所が取り調べた各証拠を検討しても、被告人が交差点に進入するさい右方道路の交通安全の確認を怠つたことを肯認するに足りる証拠はない)。したがつて検察官の右主張は採用できない。

また左方道路の交通安全の不確認の点については、交差点の直前で一時停止したとしても、被告人車両の場合運転席の位置は二・三四五メートル以上後方であるから、北東角の建物の死角になつて左方道路の交通安全を見とおすことはできず、それが可能なのは車両の運転席が交差点の入口から約一メートル手前まで進出したときである。したがつて交差点の直前で一時停止して左方道路の交通安全を確認すべき注意義務を認めるのはそこで自動車運転者なら同乗者に車両から一時下車して左方道路の交通状況を確認すべき注意義務を認めるに等しく、妥当ではない(交差点の直前で一時停止するとは、前掲の名古屋高裁金沢支部判昭三七、二、八の判示からも明らかなように、車両の前部が交差点内に入らないような位置で一時停止することをいうものと解されるからである)。したがつて当裁判所としては検察官の右主張も採用することができない。

5 結局本件事故における被告人の注意義務に違反した不注意としては、前記のように交差点の直前における一時不停止ならびに時速約一五キロメートルというやや高速で交差点に進入した点にあるものと考えられる(後者の点は、検察官が訴因において明らかに主張しない点ではあるが、念のために判断の対象とした)。

6 ところで被告人に対し刑法上過失責任を問うためには、被告人に注意義務に違反した不注意があつたのみでは足らず、そのような不注意がなければ(注意義務をつくしたとすれば)結果の発生(事故の発生)が回避できたという事情、つまり被告人が注意義務を遵守することによつて結果の回避が可能であつたことが必要と解されるので、次にその点について検討する。

7 まず被告人が本件の交差点を通過するさいに要求される第一の注意義務としての、交差点の直前における一時停止を遵守したとしても、本件の事故の発生を回避できなかつたことは明らかである。なんとなれば、被告人が一時停止の道路標識に気づき交差点の直前で一時停止したとしても右の地点では被告人は、左方道路ことにその右側部分を見とおすことは不可能であり、したがつて走行中の山田車両を発見しその通過をまつような事故回避の措置を期待することはできないからである。

8 なお被告人が、山田車両のように高速で、左方道路の右側部分を通り交差点に進入してくる車両のありうることまで予見し、交差点の直前で暫く停止していれば、その間に当時の速度から考えて山田車両は交差点を十分に通過することが可能であり、したがつて衝突事故は回避できたといえないことはないが、前記のように当裁判所は、山田車両のように、車両運転者の初歩的な常識であるキープレフトの原則を無視して左方道路の右側部分から、しかも時速約四〇キロメートルという高速で交差点に突つこんでくる車両のありうることまで予見する必要はないと考えるし、また右のような予見に基づかずに暫くの間一時停止しなければならないとする注意義務の根拠が薄弱であり、多分に事故の発生から逆流した事後的な判断として結果回避可能な注意義務を設定する感じが強いので、当裁判所は前掲の見解は採用しない。

9 次に、第二の、交差点の直前から時速一〇キロメートル以下の速度で交差点に進入すべき注意義務を被告人が遵守したとしても、なお本件の事故の発生を回避できたかについては疑問が多い。すなわち時速約一五キロメートルで交差点に進入した被告人車両は、前記のように交差点の南北の中心線よりやや手前(断定はできないが、当裁判所は約一〇ないし三〇センチメートルぐらい手前であつたと考えている)で停車しているのであるから、被告人がそれよりもおそい時速約一〇キロメートル以下の速度で進入していたとすれば、山田車両発見後右の地点よりなお手前で停車することができたことは明らかであるが、他方当時山田車両は県道の右側部分にその車体の全部を入れて約一三メートルという近距離を時速約四〇キロメートルという高速度で交差点に向つて進行中であり、また三月二八日付実況見分調書添付見取図記載の現場に残された山田車両のスリツプ痕から明瞭に判断されるように、山田車両は右の地点から衝突地点まで直進しているのであるから、その場合でも被告人が山田車両との衝突を回避することは不可能であつたものといわなければならない。

もちろん右の場合には山田車両の前部が衝突した被告人車両の左側面の部位は、本件の事故のそれとは当然に異なるであろうが、その相違によつて(つまり重量約一〇トンの原木を満載し約一三メートルしかはなれていない地点を時速約四〇キロメートルで疾走中の大型自動車の前部に自車の左側面を衝突されてもなお)本件の事故の結果(同乗者一名の死亡、三名の負傷)が発生しなかつたという証明は、本件においては十分になされていない。

10 検察官は論告要旨において、被告人が交差点の直前で一時停止したうえ徐々に交差点に進入して行く方法を採つていたならば、山田車両は被告人車両の進入を認めても十分に左に避けることが可能であり、本件の事故は回避できたと主張される。

本件の交差点が北西角にも建物その他の障害物があつて左右いずれの見とおしもきかない構造であるならば交差点の直前で一時停止したのち左右の見とおしのできる地点まで進出するにあたつては、右方道路から交差点に進入してくる車両の進路上に直接に出て行く場合であり、しかもそのような車両のありうることが十分に予見できる場合であるから、同車との接触ないし衝突を回避するためできうるかぎりの低速で最徐行して(検察官主張の「徐々に」とは右のような低速を意味するものと解される)進行すべき注意義務があるものといわなければならない。しかしながら本件の交差点は既述のようにその直前で右方道路を見とおすことができ、また右方道路から進行してくる車両のないことを見きわめたのち交差点に進出するに当つては、左方道路の右側部分を通り、しかも高速で交差点に進入してくる車両のありうることまで予見する必要のない場合であるから(被告人のみならず一般に、右のような無暴な運転をする車両のあることまで予想しないのが車両運転者の常識であろう)、右のような低速で最徐行してまで交差点に進入すべき注意義務はないものといわなければならない。

また被告人車両の進出を認めて山田車両が左に転把して衝突を回避することが可能であつたとの点については、既述のように、事故のさい被告人が発見したときの位置から山田車両は少しもハンドルを左に切ることなく直進しているのであるから、そのように推測できる根拠は極めて薄弱であるといわざるを得ない。

11 以上を要するに、たとえ被告人が上記のごとき注意義務をつくしたとしても、山田車両が道路交通法一七条三項、四二条に違反して県道の右側部分を通り、しかも時速約四〇キロメートルという高速で交差点に進入しているため本件の事故の発生を回避することができたかどうか疑わしい。すなわち本件の交差点は交通整理が行なわれておらず、右方道路(町道)の見とおしが極めて悪く、町道側の入口附近は公安委員会により車両の一時停止すべき場所に指定されその旨道路標識が設置されていても、県道には優先道路の指定がなくまた町道より幅員が明らかに広いとはいえないのであるから、山田車両は、交差点に進入するさい、道路交通法四二条によつて徐行すべき注意義務があるものというべきであり(最判四三、七、一六刑集二二、七、八一三)、しかも山田車両が交通法規にしたがい県道の左側部分を通行しかつ交差点に徐行して進入していれば、本件の事故の発生は十分に回避できた可能性が強いのであるから、むしろ山田車両の不注意と本件の事故の発生との間にこそ因果関係を認めるべき場合であろう。

12  以上の次第で、本件については、被告人に不注意な点のあつたことは認められるが、右の不注意と本件事故の発生との間の因果関係、つまり被告人が注意義務を遵守することによつて結果の回避が可能であつたことが十分に証明されないので、本件公訴事実については結局その証明が十分でないことになる。よつて刑事訴訟法三三六条によつて被告人に対し無罪の言渡をする。

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